銭形砂絵「寛永通宝」
絶景琴弾山展望台から見下ろす、東西122m×南北90mの巨大な砂絵。
寛永10年(1633)、藩主歓迎のため一夜で造られたと伝わる。「見れば健康長寿でお金に不自由しない」——春秋の砂ざらえで市民が守り続ける。
砂に描いた、まちの願い。
燧灘に面した港町。琴弾山の展望台から見下ろすと、白砂に巨大な「寛永通宝」が浮かぶ。銭形砂絵、天空の鳥居、伊吹島のいりこ——海と山と信仰が織りなす、瀬戸内の粋が詰まったまち。
寛永10年(1633)伝承
有明浜の白砂に描かれた寛永通宝の砂絵は、東西122メートル、南北90メートル、周囲345メートル。地上からは大きすぎて全容がつかめないが、琴弾山の展望台から見ると美しい円形に見えるよう、楕円に設計されている。
寛永10年(1633)、丸亀藩主・生駒高俊公を歓迎するため、領民が一夜にして作り上げたと伝わる。「この銭形を見れば健康で長生きし、お金に不自由しない」という言い伝えがあり、いまも春と秋の「砂ざらえ」で市民総出の化粧直しが続く。
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大宝3年(703)伝承〜
琴弾山の頂に鎮座する琴弾八幡宮は、大宝3年(703)創建と伝わる古社。神が琴を弾く舟でこの浦に現れたという縁起が山の名になった。
麓の神恵院と観音寺は、四国八十八ヶ所霊場の第68番・第69番。ひとつの境内にふたつの札所が並ぶ全国でも珍しい「一境内二霊場」で、まちの名「観音寺」はこの寺に由来する。
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室町〜戦国期
連歌から俳諧を切り拓いた山崎宗鑑は、晩年を観音寺の興昌寺山麓の庵で過ごした。「上は立ち 中は日ぐらし 下は夜まで 一夜泊りは 下々の下の客」と客の長居を戒めた逸話から「一夜庵」と呼ばれるこの庵は、日本最古の俳跡とされる。
海と山に挟まれた小さな港町が、日本の笑いと軽みの文芸のふるさとでもある——観音寺の意外な顔だ。
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江戸期〜現在
観音寺港の沖約10キロに浮かぶ伊吹島は、周囲約5.4キロの小さな島。夏、島をあげて行われるカタクチイワシ漁と加工が生む「伊吹いりこ」は、讃岐うどんの出汁を支える最高級品として知られる。
島の方言には古い京阪式アクセントの姿が残るとされ、言語研究者が通う「言葉のタイムカプセル」でもある。近年は瀬戸内国際芸術祭の会場となり、アートの島としての顔も持ち始めた。
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琴弾山展望台から見下ろす、東西122m×南北90mの巨大な砂絵。
寛永10年(1633)、藩主歓迎のため一夜で造られたと伝わる。「見れば健康長寿でお金に不自由しない」——春秋の砂ざらえで市民が守り続ける。
燧灘に浮かぶいりこの島。夏は島じゅうが煮干しの香りに包まれる。
「伊吹いりこ」は讃岐うどんの出汁を支える最高級品。古い京阪式アクセントが残るとされる島言葉でも知られ、瀬戸内国際芸術祭の会場にもなった。
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