イャンカーシン
新宮の風景
愛媛県

🍵 新宮しんぐう

霧が育てる、お茶と紙。

銅山川の渓谷に朝霧が立ちこめる山里。参勤交代の土佐街道が貫き、山霧が育てる新宮茶と、清流が支える手漉き和紙——「日本一の紙のまち」四国中央市の、みなもとの風景がここにある。

名物:新宮茶・霧の森大福・手漉き和紙・碁石茶ゆかりの街道

アクセス:高知道・新宮ICからすぐ(霧の森)

🗺️ マップでこの地域を見る

新宮の深い歴史

  1. 古代〜

    熊野信仰の山里 — 「新宮」の名

    「新宮」の地名は、紀州熊野の神を勧請した熊野神社(新宮神社)に由来するとされる。険しい山と清流に囲まれたこの土地は、古くから神々の宿る場所として拓かれてきた。

    7世紀には都と土佐を結ぶ官道・南海道がこの山中を通ったとされ、新宮は古代から「四国のまんなか」を結ぶ道の里だった。

  2. 享保2年(1717)〜文久2年(1862)

    土佐街道と馬立本陣 — 参勤交代の146年

    享保2年(1717)に土佐街道が復活すると、馬立には土佐藩主・山内氏の本陣が置かれた。戦国期の豪族・石川氏の邸宅を元にしたと伝わる馬立本陣には、享保3年から文久2年まで146年にわたり歴代藩主が宿泊・休息した。

    街道は参勤交代だけでなく、土佐の碁石茶と瀬戸内の塩を運ぶ「茶と塩の道」でもあった。明治30年の火災で本陣の建物は失われたが、正門と石垣が往時を伝えている。

  3. 昭和27年(1952)〜

    新宮茶 — 山霧と村ぐるみの無農薬

    新宮にはもともと野生のヤマ茶が自生していた。戦後、タバコに代わる作物としてお茶に着目した村で、昭和27年(1952)から本格的な茶栽培が始まる。開拓の中心にいたのが、C茶園の初代だった。

    昭和58年(1983)、C茶園の呼びかけで村の茶農家が無農薬栽培へ舵を切り、昭和60年(1985)からは村ぐるみの無農薬茶づくりが始まった。朝霧が直射日光を遮り、渋みの少ない甘露な茶を育てる——「霧の里」の名にふさわしい、日本の無農薬茶の先駆地である。

  4. 1999年〜現在

    霧の森、そして紙のまちの新しい風

    1999年、旧新宮村の一大プロジェクトとして道の駅「霧の森」がオープン。新宮茶の抹茶をまとった「霧の森大福」は全国から注文が殺到する銘菓となり、山里に人の流れを取り戻した。

    製紙で日本一のまち・四国中央市の山あいでは、いま若い世代が手漉き和紙の工房を構え、原料の栽培から紙漉きまでを一貫して手がける新しい動きも生まれている。お茶と紙——霧と清流の恵みが、次の世代へ手渡されようとしている。

めぐりたい場所

霧の森

霧の森

新宮茶づくしの道の駅。名物「霧の森大福」は全国から注文が殺到する銘菓。

1999年、旧新宮村の一大プロジェクトとして誕生。山里に人の流れを取り戻した拠点。

🗺️ マップで見る

手漉き和紙の工房(Aさん)

手漉き和紙の工房(Aさん)

手仕事📍おおよその位置

若き紙漉き職人が原料の栽培から漉きまで手がける手漉き和紙工房。

「日本一の紙のまち」四国中央市の山あいで、伝統の流し漉きを次代へつなぐ。

出典

🗺️ マップで見る

新宮の茶畑

新宮の茶畑

自然📍おおよその位置

朝霧に包まれる山腹の茶畑。村ぐるみの無農薬栽培は日本の先駆け。

昭和27年から始まった茶づくりは、1985年に村ぐるみの無農薬栽培へ。霧が渋みを抑え、甘露な茶を育てる。

🗺️ マップで見る

新宮あじさいの里

自然📍おおよその位置

山の斜面いちめんに約2万株。初夏、谷が青に染まる。

住民の手で植え続けられてきた紫陽花の段々畑。「あじさい茶屋」やモノレールも楽しい。

🗺️ マップで見る

塩塚高原

絶景

徳島県境に広がる標高1,043mの草原。春の野焼き、秋のススキの海。

かつての放牧地が今は絶景の高原に。パラグライダーの飛翔地としても知られる。

🗺️ マップで見る

仙龍寺

社寺📍おおよその位置

断崖に張りつくように建つ、四国霊場65番三角寺の奥之院。

弘法大師が修行したと伝わる岩屋の霊場。清水が本堂の中を流れる懸造りの古刹。

🗺️ マップで見る

馬立本陣跡・土佐北街道

歴史📍おおよその位置

土佐藩主・山内氏が146年間宿泊した参勤交代の本陣跡。正門と石垣が残る。

享保2年(1717)の土佐街道復活から文久2年まで、歴代藩主がここで旅装を解いた。茶と塩を運んだ道は今もたどれる。

🗺️ マップで見る

この土地の、風の人

B2B/B2G

あなたのまちの「イャンカーシン」、つくれます。

地域の歴史と人を編集した、オーダーメイドのご当地マップを制作します。